[012] 世界経典 - 最初の原因 - 1. すべての存在の原因者

 世界経典 Ⅱ

第1部 神様と創造
第1章 神様

 

9) 最初の原因

あらゆる存在の最初の原因は、太初に世界を創造されただけでなく、創世以来、世界を自らの力で作動するように堅持する。神様は、世界を維持し、作動させ、たえずあらゆる実体を存在するようにする。さらに、究極的原因者である神様は、万物の存在目的と自然的本性を規定する。これと関連し、文鮮明先生は、人間の原因者である神様が自分と似た人間を創造しだ人格的神だと教える。

いかなるものも、神様が規定した存在目的を離れて存在することはできず、あらゆるものは、神様の見えない手によってその目的に向かって動く。これはまた、神様が歴史の原因であることを意味する。文鮮明先生は、歴史が神様の目的、すなわち一定の法則によって主導される神様の摂理によって進行し、明らかな目的を指向すると教える。世界がその摂理の目的を達成するとき、原因者である神様と結果物である人類は一つになるだろう。

1. すべての存在の原因者

― 宗教経典 ―

また、万物の種子、それは私である。アルジュナよ。動不動のもので、私なしで存在するようなものはない。いかなるものでも権威があり、栄光あり、精力あるもの、それを私の威光(光輝)の一部から生じたと理解せよ。
バガヴァッド・ギーター10.39、41(ヒンドゥー教)

私達にとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、私達はこの神へ帰って行くのです。
コリントの信徒への手紙- 8.6(キリスト教)

愛情深い賢者は、その中に宇宙が一つの家庭をもつようになるあの神秘な存在を望む。全体はその中で一つになり、そこから出てくる。主は被造物たちの基本的要素である。
白ヤジュル・ヴェーダ32.8 (ヒンドゥー教)

かれこそは原始の創造をなされ、またそれを繰り返したもう方であられる。かれは、寛容者・博愛者、栄光に満ちた、至高の玉座の主であられ、かれのお望みのことを、遂行したもう。
クルアーン85.13 ~ 16(イスラーム)

絶えず彼が贈り物を分けてくれるのだから、ついにこれを受けた者は、これ以上何を求め、何を受けるというのか。森羅万象が彼から糧を受けるのだから、彼は至って厳かな主宰者。彼の命により全宇宙が運行する。ナナク曰く、彼は永遠の至福であり、永遠に満ち足りている。
アーディ・グラント・ジャプジー3、M1、p2(シーク教)

神が手を収めれば、世の中は終わるだろう。
アカン族の格言(アフリカ伝統宗教)

― み言選集 ―

身体の目、耳、鼻、口などはみな、生まれる前にこの世にあるすべてのことを知って生まれたのである。しかし、人間自身がすべてを知り得ようか。それらすべてを知った存在は、人間以上の全知なる存在であらざるを得ない。その存在が神様である。
(御旨の道、指導者)

神様はこの宇宙の原因的な存在です。このようなすべての作用の原因的な存在であり、このような力を注ぎ込む原因的な存在であり、方向を提示する原因的な存在であり、目的を提示する原因的な存在です。

このような存在がいるということは、不可避の結論なのです。私達はその方を人格的な神様であると言うのです。人格的な神様です。それはなぜかというと、必ず動機を中心として方向を定め、目的を提示するからです。それが一つの確実な立場なので、人格的な神様であると言うのです。ですから原因を通して方向を経て、目的の世界に出て行くのです。
(89-75、1976.7.11)

神様が人間を造ったのですが、神様は第一原因的存在です。その神様が人間をどのように造ったのでしょうか。神様に似せて造ったのです。造るときに神様の形状をかたどり、その形状どおりに造りました。それはどういうことかというと、私が神様に似ていると同時に、神様も同様だということです。私が父に似ていると同時に、父は誰に似たのでしょうか。私に似たというのです。それで答えになります。ですから、神様を私達が模索して見てみるとき、神様はどのような方でしょうか。「私のような方だ」と言えば、(頭に)すっと入ってくるのです。
(127-233、1983.5.15)

この地のすべてのものが存在するためには、存在できる原因がなければなりません。今日、私達が生きている社会、私達が過ごしているこの国、私達が見つめるこの世界も結果の位置にいるのです。このようなすべての環境の因縁が備えられるためには、その環境が備えられ得る動機がなければならないことを、私達は否定できません。

また、一つの社会形成、一つの国家形成、一つの世界形成について見てみるとき、それを受け継いでくるのは、もちろん私達人間です。しかし、人間が形成され得る根本原因には、人間自体がなることはできません。人間は、どこまでも結果的存在の立場を避けられません。それゆえに、私達人間が形成され得る動機と内容がなければならず、原因が必ずなければなりません。個々の人間には無限の希望があり、無限の欲望があり、無限の理想があります。結果である私達人間がこのような存在になるためには、まずそのようになれる原因がなければなりません。その原因が正に私達が言う神様だというのです。

神様は人格的な神なので、人間の全体的な動機であり原因です。その原因である神様がそのような内容を備えていらっしゃるので、結果である人間もそのような内容を備えざるを得ないのです。したがって、原因である神様と結果的な人間が、互いに切っても切れない一つの帰結点が、人間世界を中心として現れなければなりません。これが人間を尋ね求めてきた神様の希望なのです。
(28-282 ~ 283、1970.2.11)



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